「信じる力」を忘れない人たちへ捧ぐ!熱狂的な応援が世界を救うってマジ?
引用元:https://news.ycombinator.com/item?id=43788255
これマジで必要だわ。めっちゃ励まされる記事じゃん!ファンってのは熱意を持って応援すること、可能性を信じること、誰かを信じることなんだって。しかもそれって伝染するんだよな。周りにそういう人がいると、こっちまでワクワクしてくるもん。\nHemingwayの「評論家は高いところから戦いを見て、降りてきて生存者を撃つ」って言葉とは対照的だな。批判するのって楽だけど、破壊的じゃん?俺はファンの方がいいな。
絶対的なこと言うのは良くないって。それって簡単にひっくり返せるし。「hater」って言われたくないから、最新トレンドに盲目的に熱狂するのは、それはそれで安全策じゃん。\ncriticをcynicと同義語にしようとしてるだけじゃない?ファンでありながらcriticでもあるってことだってできるはず。
むしろ最高のcriticって、その対象の最大のファンだったりするんだよな。Roger Ebertとかまさにそうじゃん。映画愛にあふれてたもん。政治だってそう。左派コメンテーターがBidenを批判しすぎだって言う人もいるけど、自分が好きなものを批判して改善を願う方が、嫌いなものを批判するより有益な場合もあるんだよね。
このコメント自体が皮肉だよね(笑)
わかるけど、世の中にはcriticも必要じゃない?会社で若いエンジニアが新しいもの作りたい!ってなってる時に、誰かがちゃんと批判しないと、時間とか労力が無駄になっちゃうこともあるし。
マジで的確な説明。criticするのって、対象のことをよく知ってて、改善してほしいからって場合もあるんだよね。
code reviewとかもそうじゃん
確かに。でも、傷ついたファンほど怖いcriticはいないよ。いろんなfandomがあるけど、大体は harmless funだけど、weirdで危険なことになることもあるし。fandom同士がぶつかったりとか。
code reviewで心がけてることが2つあるんだ。レビューする時は、良い点を必ず1つか2つは見つけて褒めるようにしてる。レビューされる時は、感謝の気持ちを伝えるようにしてる。code reviewってnegative feedbackになりがちだから、ポジティブな要素を入れることで、気が滅入るのを防げるんだよね。
どういうこと?詳しく教えて。fandomを利用して他人を批判する人たちのこと?「俺はXのファンだから、Yを批判する」みたいな。それってtoxicだよな。fandomは争いの道具じゃないはず。他人をdisるんじゃなくて、高め合えるfandomを育てたい。
Brendan Behanの「評論家ってのはハーレムの宦官みてえなもんで、やり方は知ってるし毎日見てるけど、自分じゃできねえんだよな」って言葉、マジで好き。
メディアってのはメッセージと切り離せないもんだよな。投票システムによるスレッド形式のコメントもそう。みんなが支持する意見に賛同が集まって、一番人気のコメントに反論しづらいんだよ。でも、それこそが反対意見を言うべき場所だったりする。皮肉にも、フォーラムの構造自体が批判寄りになってるんだよね。
Amazonとかの会社じゃ、エンジニアはコードレビューのコメント数で評価されるんだって。特にL4からL5に上がりたいエンジニアは。だから、コードレビューで褒めるコメントはあんま歓迎されないんだよね。俺もその癖ついちゃって、今じゃコメントは改善提案って感じ。褒め言葉は別の機会に言うようにしてる。
皮肉だねー。時には黙って応援することも必要じゃん?「最高!でも、〇〇について考えた?…黙れ!」みたいな。
めっちゃ鋭いコメントだね!ただ、フォーラムの構造じゃなくて、群衆が批判的なんだよね。で、HNがあんま好きじゃない理由に気づいた。創造とか発展に興味あるのに、同時に批判の嵐の中にいるっていう奇妙な状態。善意から来るものだけどね。アイデアを徹底的に批判して、改善しようとしてる。でも、元々のアイデアが原型を留めなくなるんだよね。HNのコメントから何か生まれたことってない気がする。完璧を目指してる前提で、常に改善点を探してるだけ。皮肉なことに、このコメント自体もそうじゃん。
“ファンであること”自体が有害なレベルで蔓延してると思う。“ポジハラ”みたいなのが当たり前になってて、何か正しいこと言うにしても、めちゃくちゃ丁寧に言わないと「アンチ」とか言われる。疲れるわ。直接的な言い方とか、淡々とした口調を、無関心とか批判と混同する人も多いし。正直、「超興奮!」みたいなの見ると、逆に知識とか誠実さを疑っちゃう。偽物の優しさとか、大したことないことで騒ぎすぎなんだよ、特にアメリカは。もういらない。
評論家はそうかもね。でも、敵対者は違う。
ネガティブなことばっかだと、人を信じたり、ポジティブな意見を持つのが難しい。悪い奴らが昇進して地位を得てるし。まるで、平凡さとか、軽度のサイコパスとか、意地悪さが報われる社会に生きてるみたい。Elon MuskとかMark Zuckerbergみたいに超優秀じゃないと希望がない。真面目に頑張ってる普通の人が報われない。超優秀か、運がいいかしかない。
人が親切で良い人なら、努力を褒めるのは大事だと思う。でも、悪いことを批判できないなら、良いことを褒める価値ある?批判は不快だけど親切にもできるし。「残酷な正直さ」はただ残酷なだけの場合が多い。スラヴ・ドイツ文化とかは知らんけど、ただ応援するだけじゃなくて、適切で、親切で、誠実な方がいい。本当の愛は、欠点を知った上で受け入れること。
マジでいい言葉だね。最近初めて家族でLA Kingsのホッケー観戦に行ったから、めっちゃ共感する。高校時代はスポーツやってたけど(アメフトで3日入院した)、テレビでスポーツ観戦するの好きじゃなかったんだよね。都市のチームを応援する人たちのこと、くだらないと思ってたし。でも、スタジアムの雰囲気が最高!応援して、ブーイングして、泣いて、Edmontonに文句言って、審判に文句言って、スタジアムの飯に文句言って、トイレの列に文句言って…多分、会場で一番うるさかったわ。まだKingsとかLakersとかClippersとか興味ないけど、試合観戦はマジで楽しむつもり。母親に「あんたのそんな一面見たことない」って言われたし。WE WANT SKINNER!!!
20年音楽やってる身としては、良い音楽とそうでない音楽に色々意見があんだけど、ミュージシャンじゃなくて音楽そのものを批評するよ。他のミュージシャンからの建設的な批評はマジで成長につながるし。ただ、自分でやらずにその分野に熱狂的な人もいるよね。そういう“熱心な消費者”って、なぜか辛辣で不公平で建設的じゃない批判をしがち。自分が好きなものに近いほど厳しくなるんだよね。消費することが彼らのアイデンティティだから。俺にとって音楽は作ることの方が重要だけどね。あと、昔美術学生だった時に学んだのは、趣味だけで判断する批評はマジで無意味ってこと。クラシック好きがnoiserockを嫌うのは、ただ趣味が違うだけじゃん?\n批判に対処する方法は、まず批判の性質を見極めること。趣味の問題なのか、根本的な原因があるのか。ほとんどの批判は良くも悪くも作用するから、捉え方次第だよね。自分がやることを客観的に捉えれば、批判は自分への攻撃じゃなくて、作品を良くするチャンスになる。\n自分のためにやれば、批判なんて気にしなくなるよ。ギターが好きなら、下手でも気にしないで良いじゃん。誰だって最初は下手なんだし。あと、ドイツには「Wer macht hat recht(行動する者が正しい)」って言葉がある。行動こそが正義。
Hurricanesの試合に行こうぜ!NHLで一番盛り上がる場所だよ!
文句じゃなくて、ちゃんと批評するのってマジでスキルいるよね。
この記事は「偽の優しさ」を推奨してるわけじゃないと思うな。熱狂的な盛り上げを推奨してるんだよ。小さな趣味コミュニティにありがちな、みんなで協力して発展していく精神。3Dプリンター界隈とか、正直な批評や知識のある議論も多いけど、熱狂的な雰囲気があって、みんなで成功したいって気持ちがあるんだよね。\nHNみたいな場所に出てくるテックコミュニティと比べてみてよ。誰かの新しいプロジェクトのスレッドを開くと、ポジティブで応援するコメントと、揚げ足取りや批判的なコメントの数が全然違うじゃん。改善案を出す人も、実際に改善する努力をしないことが多いし。\nプロジェクトで改善点を見つけたら、パッチとか修正を試みるようにしてる。できない場合は、できるだけ詳細な情報を提供するようにしてるよ。
Selenaって、ストーカーに殺されたんだっけ?
大企業がどうやってビジネスしてるか知れば知るほど、そこで働く夢が叶わなくて良かったって思うわ。企業が難しいことを測定しようとして起こるバカげたことにはうんざり。誰かのスプレッドシートのために、公の場で褒めて、個人的に批判するっていうのが逆転してるような場所で働きたくない。
良い批評家は、人が気づかなかった作品を見つけて楽しめるように手助けする人。\n一方、ファンにも不健全なところがあって、例えば誰かを尊敬すると、誰かを嫌ってしまうとか。記事のタイトルにあるように、一般の人々を信じる方がずっと良い。
皮肉って真実を語ることが多いよね。
これには全然同意できないな。反対意見を言うことが問題視されるような世界はおかしいと思う。\n「お客様は常に正しい」っていうのが、アイデアの市場にも当てはまると思う。人には違う好みを持つ権利があるんだから。
いつも良い気分でいるなんて現実的じゃないし、個人の洗練された趣味の欠如を示してるんじゃないかな。好きなものを好きで、嫌いなものを嫌いでもいいんだよ。周りに流されずに自分の意見を持つべきだよね。
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今日私たちが苦しんでいるのは、間違った場所での謙虚さだ。謙虚さが野心の場所から移動して、確信の場所に落ち着いてしまっている。人は自分自身については疑うべきだが、真実については疑うべきではないはずなのに、それが逆転しているんだ。(引用)
「しかし、新しい謙虚さは、人の目標を疑わせ、その結果、完全に働くのをやめさせるだろう」って Chesterton は言ってるけど、伝統的な道徳の衰退が人類の根本的な退化を生み出すという永遠の予測に、ただ巧妙な表現を与えているだけじゃないかな。T・H・Huxley は成功者だったのにね。
Chesterton は、伝統的な道徳の衰退が人類の根本的な退化を生み出すという永遠の予測に、ただ巧妙な表現を与えているだけだって?違うよ。(引用)進歩主義者である理由として、物事は自然に良くなる傾向があるからだ、という意見があるけど、進歩主義者である本当の理由は、物事は自然に悪くなる傾向があるからなんだ。
これって Chesterton っぽいな。良い作家だけど、彼の世界観には賛成できないな。疑うべきことを疑い、自信を持つべきことに自信を持つべきだよ。現代人が昔の人よりも真実を疑うなら、それは、いわゆる真実が一部の人が信じさせようとするほど明白ではないからかもね。
ドーナツを食べたいとか、健康になりたいとか、残酷さのない世界にしたいとか、疑うことはできないって言うけど、喫煙者がタバコをやめたいと言いながら、本当にやめたいのかどうか疑うケースはよくあるよね。それは当てはまらないってことだよ。
ニコチンをやめた経験から言うと、やめたいと思うかどうかだけの問題だよ。今でも喫煙は大好きだし、2週間に1回くらいパイプか葉巻を吸うけど、1日に12mgのニコチンパウチを半分も摂取する習慣はなくなった。恋しいし、やめたくなかったけど、経済的に少しバカげてたし、ニコチンは健康に悪いからね。何かをやめたいけど、やめたくないと思うこともあり得るんだよ。
「ダメって言えばいいんだよ」
それってどこかで聞いたことがあるな。私の経験では、強迫観念のある人は、どんなにやめたいと思っても、完全にやめられないことが多いんだよね。だから太った人を悪く言わないんだ(私も痩せる必要があるし、取り組んでるけど)。Ozempic のような薬は、爬虫類脳の衝動を攻撃して、禁煙をとても難しくしているから、大きな変化をもたらしてるんだ。
人は複数の、競合する、欲求を持つことができるって言った方が良いと思うな。特に異なる時間スケールではね。人が本当に単一の、一貫した、存在であるという考えに賛同しないから、人間の状態について私が理解できる限り、これは不合理ではないんだ。
君が獣と違うのは、物事がどうあるべきかという考えを持っていることだ。ドーナツを食べたいという欲求と、ドーナツを食べるべきかどうかという規範的な信念を切り離して考えることができる。食べたいと思っても食べるべきではないと信じることができるし、食べたくなくても食べるべきだと信じることができる。ドーナツを食べたいという欲求に基づいて、何を食べるべきかについて何の信念も持つべきではないとさえ信じることができるんだ。
MastodonとかBlueskyみたいなSNSで一番嬉しいのは、自分のことをめっちゃ応援してくれる人を見つけられること!自分のプロフィール見つけて、過去1ヶ月の投稿全部読んで、20%くらいお気に入りしてくれる人がいたら、ファン確定じゃん?HNにもそういう人いるんだろうけど、HNerはもっとクールだから、アンチに立ち向かってくれる時くらいしか気づかないんだよね。
Houleを支持する!
あなたたちのファンだよ!彼の文章も読みたいな。才能を認めるって、ただ口に出すだけでもすごいことだよね。私もこれから…
俺にもファンでいてくれるマネージャー兼メンターがいたんだよね。応援してくれる人がいるってマジ最高。建設的なフィードバックくれたり、自信をつけてくれたり、今まで誰もしてくれなかった方法で育ててくれて、それが俺の仕事とプライベートの人格を根本的に変えたんだ。良い方向に変わったと思いたい。
俺もいたわー。それがその会社にいた唯一の理由だった。
こういう状況ってあんまりないけど、マジで最高だよね。
自分の人生とコミュニティがかかってると思って、常にメンターであれ。マジでそうだから。
“もっと多くの人が「あなたがあなたの魔法を発揮できるように、私たちはただ確認したいだけです」と言うようになれば、世界はもっと良くなる。“マジそれな!\n最初の熱意ってなかなか得られないよね。他の人が乗り気になってから盛り上がる感じ。でも、最初の1~2人がマジで重要。
マジそれ。
俺は組織の中で結構上の立場にいるから、発言力もちょっとあるんだよね(俺の体重みたいに)。\n静かな会議で最初に口を開くと、場が和むことが多いって気づいたんだ。特にすごいこと言う必要はなくて、ただ話すだけで良いんだよね。
これイベント企画のコツだよ。まず「Xに行きたい人いる?」って聞いてもシーンってなる。でも、こっそり2、3人に声かけて「俺ら4人でX行くけど、他に誰か来る?」って言うと上手くいくことが多いんだ。みんな成功しそうか見極めてから参加したいし、失敗したくないんだよね。
あと、誰とでも争いたくない人もいるよね。みんながハッピーで成功してほしいと思ってる。そういう人って意外と少ないけど、本当に尊敬する。
俺は競争しない。それは人生経験からきた考え方なんだ(話すと長くなるけど)。誰かが「勝つ」ためには、誰かが「負ける」必要がある。それは個人的には嫌だけど、他の人に同じ考えを押し付けるつもりはない。でも、俺の優しさを「弱さ」だと勘違いして利用しようとする奴は許さない。優しさは弱さじゃない。
「勝つ」ためには誰かが「負ける」必要があるってのは、ゼロサムゲームの場合だけじゃね? 実際にはゼロサムなことって少ないと思う。お金の取引で双方が感謝するのは、一方は物がお金より価値があり、もう一方はお金が物より価値があるから。Win-Winじゃん。チームで勝つのが好きだし、貢献もしたいけど、誰かを犠牲にはしたくない。「俺がやった」じゃなくて「みんなでやった」って言いたい。
日本の会社で働いてたとき、個人の表彰は推奨されなかったな。常にチーム全体だった。たとえキーパーソンがいても。うちのボスがソフトウェアの使い方に関する本を書いたんだけど、めっちゃ頑張って一人で書いたのに、上司に名前を一切出すなって言われたらしい。「出る杭は打たれる」って言うしね。日本のチームは最強だけど、個人が評価されるのは難しい。
そういう人が好きだけど、競争心があったり、反対意見を言う人がいても、世界とか人間の経験にとってプラスになるんじゃない?
基本的にはそうだけど、世界にとって一番大切なのは、賛成とか反対よりも正直さだと思う。賛成や反対する必要があるときは言うべきだけど、ただ単に反論するためだけにdevil’s advocateを演じるべきじゃない。
devil’s advocateはやるべきだよ。違う角度から状況を考える試みだし、普通はそう理解される。攻撃じゃなくて、構造が反対意見に耐えられるか試すための揺さぶり。
それって「ただ単にするため」以上の目的じゃん…。
敵を応援しながら競争することもできる。
この女性が創設したCreative Morningsは、俺がめっちゃ尊敬してる組織の一つなんだよね。秩序と混沌のバランスが最高。
近所に支部があるの知ってマジ嬉しい!絶対行ってみるわ。
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一瞬Swiss Miss(ココアの粉)のサイトかと思ったじゃん。
私も!こんな時代にココア会社が何を言うのかと思ったわー。記事は面白かったけどね!
それも好きでいいんじゃね?
ピグマリオン効果を思い出すね。[0].[0] https://en.m.wikipedia.org/wiki/Pygmalion_effect
俺は昔から熱意のある人が好きなんだよね。でも、特にテック業界だと、嫌がる人も多いんだよなー。偏屈な人が多いから。
偽物の熱意とか、自分の目的のために熱意を悪用する人にうんざりしてるんだよね。業界は20〜40代のナイーブな熱意で動いてるけど、その結果、40代以上の偏屈な人が量産されるんだよ。
俺の場合はちょっと違うんだよね。白髪交じりのお洒落な髪型してるんだけど、若い子たちは理由もなしに敵意むき出しなんだよ。俺は色んなことに熱心で、人を助けるために努力を惜しまない。暗い時代を見てきたからこそ、当たり前のことに感謝できるんだよ。危ない橋も知ってるから、 rattlesnake に近づこうとしてる人に「それ危ないよ?」って言ったりする。
へー、結構いるんだね。昔、買収された会社との面談でさ、(俺たちは買収された側…創業者に感謝して、機会について少し話しただけ…)数か月後、創業者のひとりと話してたら、取締役会の誰かが後ろに座ってたらしいんだ。「あいつを離すな。会社全体よりも熱意がある」って言われたんだって。Richard KとJim Vに感謝だな。
熱心だったことのほとんどが、約束を果たせずに終わることって、よくあるよね。
それってネットのせいだと思うんだ。どの文化でも、現実世界のグループは無意識に皮肉屋を排除する。そういう人たちは疎外感を感じてネットに集まる。すると、皮肉屋じゃない人がいなくなって、コミュニティが皮肉っぽくなるんだよね。Threadsがネガティブな政治的な話題を避けてるのは、そういう負の連鎖を信じてるかららしいよ。r/Coronavirusでその証拠が見れた。ワクチンが出てきて、最初は誰も信じなかったけど、効果が出るとトーンが変わって人が減ったんだ。
いや、逆のこと言おうと思ってたんだ。テック業界、特にアメリカには熱狂的な信者が多すぎる。「発表が楽しみでなりません!」みたいなPR記事ばっかりだし。批判的な人が足りないんじゃないかな。いたとしても、リーダーシップを発揮してプロジェクトを改善したり、ひどいプロジェクトを止めたりできない。うちの会社も、上層部はみんな、何でもかんでもポジティブで興奮してるよ。
それって「本物」の熱意じゃないと思うんだ。「カルト的な熱意」って言うか、狂ったようなエネルギーを維持すれば、現実のブルジョア刑務所を超越して、虹色のユニコーンのうんこを出すと信じてるんだよ。
俺には表裏一体に見えるな。狂信は、自分の狂信と一致しないものに対して不機嫌になるんだ。
これは素晴らしいね。ファンになるかどうかは自分次第だ。
ファンダムについての考え方は好きだな。この記事ではファンダムを純粋で無邪気でポジティブなものとして描いているけど、俺の経験ではもっと暗い面もある。南インドとかでは、ファンダムは派閥になり、派閥はギャングになり、ギャングは政治団体になり、政治団体は王朝や王国になる。これってリーダーシップの多様性を制限して、統治とか社会に悪影響を与えるんだよね。ファンダムは常に無邪気とは限らない。良いことも悪いことも含めて、社会や政治に大きな影響を与えるんだ。
これらは全く違うものだと思うな。有名人とか、作品のファンダムは、向こうが積極的にファンになるように仕向けてくるから、疑似的な関係になるんだ。この記事で言ってるのは、もっと地に足の着いたことで、知り合いを応援したり、信じたりすること。こっちの「ファンダム」は、実績への憧れじゃなくて、心からの信頼から生まれるんだ。相手が自分らしくしているだけで、ファンになるんだよ。
えーと、Note: gpt4oで書いたんだって。良い点もあるけど、自分の考えで自分の言葉で書いてほしいな。あと、最後に付け加えたのは冗談だよね?
ちょっとした熱意で色々なことができるよね。Swiss Miss、頑張って!
他者を信じる力と熱意に対する、なんて美しい賛辞なんだろう。
そして、文字通りの感謝の泉だね。
めっちゃ癒やされる。このブログを見つけられて最高の一日だ。
誰のこと?そこが重要。
チームと共有したよ。素敵な記事だね。
私はファンです。