誰もがそうなると思ってた「死の間際の考え」は間違いだった?
引用元:https://news.ycombinator.com/item?id=43944467
終末期の癌って診断されて(余命の真ん中くらいかな)、この記事の多くには同意できないな。精神的にはもう死に際だけど、体は動くよ。1年前とは違うけど、俺は俺。診断直後は変にバタバタしたけど、今は普通に暮らしてる。優先順位は激変!4ヶ月前大事だったことはマジでどうでもいいけど、前から大事なことは今もそう。残りの時間は最高の経験にして、妻と良い思い出を作りたいんだ。
記事の「reason 2」みたいな後悔はあんまりないな、ラッキーだ。53歳だし「reason 3」も意味不明。多くの人は直面するまで真剣に考えないね、俺もそうだった。Atheistだから、2026年は1969年(生まれる前)と同じ、意味はないね。
返信した相手じゃないけど、”atheist”って名乗る人のほとんどは、宗教について調べた経験があるよ。調べてない人は単に「非宗教的」って言うことが多いかな。
atheistとして、一二度祈りたい衝動を感じたのは、すごく孤独を感じて、リアルな力を持った誰かが聞いてくれてるって信じて祈ることから来る安らぎが恋しかった時だけだね。Christianityは…自分には合わなかったけど、たくさんの利点は瞑想で見つけられるよ。
人類が想像してきた何千ものGodsにもそれがあてはまるって分かってる?だから、念のため彼らにも祈ってみることを優しく勧めてるんだ ;)
時々マジで、宗教的な人たちが他人から期待するような反省をして、これがどれだけ不快かってことに気づき始めてほしいと思うよ、特に死に際の人に対してはね。
シェアしてくれてありがとう。これ以上シェアする必要はないけど、もしよかったら教えてほしいな、何が自分にとってマジで意味がなくなったのかって。それって驚きだった?それともこの状況で予想されること(career、retirementとか)だった?
シェアしてくれてありがとう。俺も全く同じ状況で、君が書いたことと俺の経験や考えがほとんど一字一句同じだよ。最近の俺のモットーは「今日をいい日にしよう」で、毎日そうなるようにベストを尽くしてる。
神様の代理で誰かを罰するとか言う権利なんて、誰も持ってないってのには同意。神様の慈悲は想像を超えてる。でも、人間って自分で自分を破滅させることもあると思うんだ。どう思う?
神様に”念のため”お祈りしてるわけじゃないんだ。俺の魂の奥底から神様を知るようになったからお祈りしてる。全能で慈悲深くて、宇宙と全てを創造した神様以外に、俺が知ってる神様はいない。
もしChristianityに安らぎを求めてるなら、それは見つからないってのには同意だな。Jesusは、この人生で苦しむってハッキリ言ってる。Christianlifeにも安らぎはあるけど、全体としては”ご利益”とか満たされるためのもんじゃないんだ。
無神論者だけど、恐怖や幸運から宗教に頼る。Hinduism育ち。Sufferingに意味があるのは有限だから。無限ならsufferingとeuphoriaに差はないと思う。宗教はフィクションと分かってるけど、恐怖や幸運を理由に、神様(宇宙)に感謝してるんだ。
深く考えてないけど、俺の哲学は”ポジティブな実存主義”かな。自分が存在して生きてるのがすごいことだから、人生に”イエス”って言って無駄にしたくない。やったこともやらなかったことも後悔したくないんだ。俺はお前らと同じ状況じゃないけど、皆いつかそうなるって気づいてないだけだと思うよ。
>”念のため”彼らにもお祈りしてみたらどうかなって、優しく勧めてるんだ。;)笑、みんな映画「the mummy」のBenny覚えてる? いろんな宗教のネックレスを順番に祈りながら見ていくシーンがあって、今そのイメージが頭から離れないんだ。
死を前にして価値観が激変した。妻のためにモノを整理し、かつて重要だったモノ(道具、バン、バイク)への執着が消えた。長年やってた音楽への興味もなくなった。仕事はまだ少し気になるけど、収入源ではなくなった。一番意味があるのは、妻と毎日一緒に過ごす時間になったこと。価値観の変化ってすごいね。
多分意見は違うけど,間違ってるかも(いつものことだけど).でもこれが僕の考え:
キリスト教やhinduismの罪の許しについて不思議に思う.悪い人が崇拝するだけで天国に行けるなら,なんで従うべき?宗教を疑うのが唯一許されない罪って皮肉だよね.神様にお願いして叶えてもらった経験もあるけど,信仰の理由が恐怖/報酬なのはちっちゃいかな.合理的には神様は見つかってない気がする.もしスピリチュアルなものならkarmaかも.いじめられても言い返さないのは,相手と同じにならないため.平和主義に価値があると思って死にたいんだ.
>ある意味,僕たちはみんなそうなんだ,まだ気づいてないだけでね.人生で掴める最高の幸運の一つは,それに気づかざるを得なくなるような何かを経験して生き抜くことだね.
確かにそれに同意しただろうね!でも,たまにそれがもたらしてくれた慰めが惜しいだけだよ.もちろん,信じてもいない来世のために犠牲を払うのは惜しくないけどね.
はっきり言うと,Hellとかそういうことじゃなくて,日々の痛みやsufferingについて言ってたんだ.sufferingや非sufferingが永遠性で無関係になるって意見には同意しない人もいるだろうね.人間はinfinitiesを扱うのが得意じゃないし.売りになるのは永遠のblissじゃなく,IRLで日常的に直面する辛い出来事,例えばstarvationとか幼い子供が死ぬとかいうことに二度と対処しなくていいってことだ.
君の考え方は,David Brin’s Uplift seriesの”Ifny”(”Infinity”の略でluckの擬人化)を思い出す.ほとんどのpre-monotheistic religionsはluckに関わるgodsだけど,monotheismは違う.完璧なgovernmentのarchetypeに集約できて,最初のlarge centralized statesがlargely spreadした.完璧にordered universeにluckはないから,”unlucky”も解決するんだ.
死を意識して生き方を考えるって、古代から色んな文化にある超古い考え方なんだよ。この記事の筆者は死ぬ間際の考えって現代の一つの例にこだわりすぎ。Marcus AureliusとかTao Te Ching、Maranasati、Quran、Bibleにも似た話あるじゃん?
自分の死と向き合って人生変えるのってマジで人間らしい行動で、一つの例の言葉尻を捉えるのは木を見て森を見ないってことだね。
このコメント(2290)最高じゃん。これぞまさに純粋なエンジニア/ロジック思考とリベラルアーツ思考の大きな違いだよね。Hacker Newsで深い哲学的な話なのに、まるでGoogleの面接みたいに孤立した問題として扱われてるの見るたびに、テック界の深刻な盲点とリベラルアーツ軽視のヤバさがわかるわ。世界中の人間が歴史とか文化を超えてこういう問題にどう向き合ってきたか学ぶのは、記事書くならマジ必須だよ。
この盲点って、純粋なエンジニア/ロジック思考が人生の多くの場面で超強力だから生まれちゃうんだと思う。いつもそれが正しいわけじゃないって気づかないんだよね。人間関係がそのいい例。感情的な揉め事を論理で解決しようとしても、全然うまくいかないじゃん?
コメント2290のBibleの話についてだけどさ、「準備したものは誰が手に入れる?」の答えって「納屋見つけた奴ら」じゃないの?何が問題なのかよく分かんないんだけど。てか納屋建てる時間もないなら、教訓って「何も作るな、Princeみたいにパーティしてろ」ってこと?
まぁ、死って人を狂わせるってのはホントだよね。死を見越して計画すんのは必死だし歪んでるわ。「死んだら関係ねーし」とか「YOLO」みたいな考え方もあるしね。
「感情的な揉め事を論理で解決しようとしてもダメ」って?いや、できるよ。人間の仕組みをちゃんと理解したモデルがあればね。よくある間違いは、相手が間違ってるって証明するのに論理を使うんじゃなくて、関係がなんでうまくいかないかを理解するのに使うべきなんだ。人間関係で論理を使わない人は、かなり浅いところで頭打ちになっちゃう。見た目とかその場しのぎの感情に流されやすくて、長い目で見た関係性をちゃんと調整できない。そういう生まれ持ったバイアスに逆らう一番簡単な方法が論理なんだよ。感情を超えた何らかの原理原則が必要なんだ。
Bible読むときは、まずchat gptで要約してもらって、翻訳で分かりにくいところ直してもらうといいよ。あの話の意図は、穀物は誰も知らない場所に隠されて、誰も使わないうちに腐っちゃうってことだと思うな。
リベラルアーツをこんなに強く否定する人ってHacker Newsでしか見かけないわ。自分のエンジニアリングの授業にも結構リベラルアーツあったんだけど、学校にいる時はマジで嫌だったけど、後からあれが最高の教育だったって感謝するようになったんだよね。昔の科学者が自然哲学者って呼ばれてたのにも理由があるんだよ。
納屋がなんか秘密だったってこと?そんな話の意図とは思えないけど。
Bibleってすごい難解で奇妙だけど、俺が正しく解釈してるってのは保証するよ。
聖書は解釈が超難しいし、膨大な古代の文化背景が必要なんだ。それをChatGPTに丸投げしたり、これだけが絶対正しい解釈だって言い切ったりするのは、めちゃくちゃだなって思うよ(聖書が文化的な影響以外に特別だと思ってない俺でもそう感じる)。
それに、”論理”って言う時に多くの人が使う二値論理は、単項論理より少しマシなだけで、現実をモデル化するには全然足りないんだよね。不確実性論理がないと、得られる知恵はすごく限られちゃう。これがあれば、どんな感情的な話もすぐに絶対嘘だって決めつけずに向き合えるし、感情を参考にしつつ、それに振り回されないで意思決定できるようになるんだ。
リベラルアーツは情報理論っていうエンジニアリングの一部みたいなもんだよ。Shakespeare、Monet、Banksyとかはみんな、古い技術でアルゴリズム作った人間なんだ。でも今やコンピューターで彼らを真似できるし、ASIがあれば、高品質なShakespeare作品をコンピューターが数年で作るのも夢じゃない。そうなると、この分野は存在意義が問われるだろうね。絶滅はしないだろうけど、技術についていけないと遅れる。そのうち、ほとんどが数字やアルゴリズムに分解できるってコンピューターが証明したら、情報理論の下に統合されちゃうかも。
memento moriも見てみてね:memento moriを参考にどうぞ。
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もうちょっと違うかな…近所の人にお恵みを分ける、みたいな感じ?穀物の恵みは神様から来たって理解して、自分のために溜め込むんじゃなくて、その恵みをみんなに分かち合って広げようとする、みたいな感じだと思うな。
このスレッド好きだわ。「矛盾してるように見える二つのことが、両方とも真実でありうる」「自分の感情や空想は大事だけど、“現実”じゃない」
Mementoじゃなくてmomentoだと、死の瞬間、みたいな意味になるね
それはそういう意味かもしれないけど、本文にはそう書いてないと思うんだよね?
But God said to him, ‘You fool! This very night your life will be demanded from you. Then who will get what you have prepared for yourself?’
俺がその文章を唯一解釈すると「お前は将来のために計画して遅延報酬を理解してた、この馬鹿め!」ってなるんだよ。
Liberal arts界隈ではずっとMarcus Aureliusをファシストだって見てるよ。Stoicismはこの10年くらい右寄りとかテック系って見られてるしね。本来liberal artsがあるべき姿については君の言う通りだと思うけど、ひどく道を外れちゃってるよ。
世界について考える時、それが常に正しい方法とは限らないってことを考慮しない人がいるって?
残念ながら、それは教育や世間的な経験が足りないせいだろうね。
でもこれ全部文脈によるでしょ、文脈は”a wealthy man”だよ。これは貪欲さに対するたとえ話だね。自分に十分あること(健全な蓄え含む)と、必要なものをはるかに超える過剰なものとは違う。
聖書にも投資や将来に備えることに関する教えはたくさんあるけど、これは過剰さへの警告だよ。
論理は単純なシステムにはすごく効くけど、例えば七つ以上の変数が絡んでくると、もう誰もリアルタイムで適切に推論できなくなるんだと思う。
人間関係とか政治、子育て、人生で何をすべきか見つけること、ウェブフレームワークを選ぶこと、これらは全部何百万もの変数が関係してる。
愛、権力、友情みたいな抽象的な概念が科学的な思考を持つ人に複雑なシステムを単純なものとして考えさせてくれたとしても、根本的な複雑さはまだそこにあって重要だよ。人間のエコシステムはMaxwell’s lawsに従わないからね。
他の人のコメントへの反論だね。人間関係における感情的な対立で論理が役に立たないなんて意見は軽率だと思うよ。感情的な対立は感情から生まれるけど、一歩引いて論理的に見るのはむしろ生産的でしょ?私の経験では、論理こそが対立を乗り切る唯一の方法だよ。問題はそれをストレス時に使えるか、冷静になるまで待てるかだね。感情的な対立の原因は感情に圧倒されて思考を怠ることだと思うよ。
感情的になると論理が全然通用しないって考える人たちに論理を使おうとしても、確かにうまくいかないね。そういう人たちは何でも力のレンズを通して見てるんだ。
彼らは面白いくらい単純な生き物で、権力を得るためか、たまに面白がるためにしか論理を使わない。
そういう人たちが他人に対して権力を持つ立場になると、破滅が起きるよ。
論理っていうのは矛盾した信念を見つけるための技術だよ。片方だけが使ってても助けになるんだ。
意見の不一致で片側が論理的に注意深ければ、両方が論理的に矛盾したまま争うよりも、制御された沈静化と解決に向かう道が開けるよ。
著者は過労を正当化して楽にするヒントを出してるけど、議論の反対側を十分示せてないのはそのせいだよ。個人的には、自分が不器用で自己破壊的だから過労してるんだ。ピラミッドを建てた労働者みたいに感じることもあるけど、これが正しい道じゃないって分かってる。これが今の僕がいる場所なんだ。
liberal artsはHNに集まるようなタイプの人たちと関わる時に、共感や指針を与えてくれるんだ。
論理的に解決できても、感情的に納得しないと問題は解決しないし、またぶり返すってことあるよね。俺の経験だと、こういうのは元の問題からかけ離れた、分かりにくい形で現れることが多いんだ。
どうやら傲慢(hubris)って言葉以上の意味があるみたいだね。友達、”techne”って言葉を知っときな。ギリシャ語で”手”って意味だ。服を着た喋るサルが、自分の限られた理解力で世界を矮小化しようとするのはおこがましい。写真をピンチして夕日を握りつぶしたつもりになってるようなもんだよ。
俺がいつも死ぬ間際の助言を重視しすぎるのに疑問持ってるのは、死にゆく人が反実仮想を考えないってことなんだ。「そんなに働かず、人間関係を優先しなかったら、どんな結果になる?」「経済的不安や仕事の不満から、どれだけ悪い未来が待ってる?」そもそも、助言くれた人は、頑張るに至ったトレードオフを考え抜いた?それに、死にゆく人の世界は人間関係だけに縮小されるから、その点だけ強調するのも分かるけどさ。
”Star Trek: The Next Generation”の”Tapestry”っていうエピソードが、これをすごくうまく捉えてるんだ。もし人生を違うやり方で送ったら、確かに違う人生になるけど、たぶん自分が思ってたような人生じゃないかもしれないよ!https://en.wikipedia.org/wiki/Tapestry_(Star_Trek:The_Next…
いい指摘だね。目先の満足と将来のための我慢のバランスが大事だよな。俺は、将来の自分が今の自分を見て「あの時しかできない経験(冒険や友情とか)を活かしたな」って言える一方で、「今の自分が幸せになるように、準備(真面目に働くとか、金銭的責任とか)してくれたな」って言えるような生き方を心がけてるんだ。
このバイアスの一部は、死の床にいるような人たちが、あまりリスクを取らない選択をする傾向があることだね。 motorcycle riders はもちろん、 BASE jumpers なんて話にも出てこない。長時間労働は安全な選択肢に見えるし、遅くまで働いたからってクビになることはめったにない。でも、リストラされた時とかに、どれだけ余計な時間を費やしたかに腹が立つことはよくある。だから、振り返る人たちはより多くの情報を持ってて、リスクを避ける傾向があったから、たぶん本来よりも働きすぎたんだろうね。
今どき定時外に働くのは疑われる原因だよ。特に最近のWFH環境だとね。それは実際の仕事をするハンドラーと会うのに絶好のタイミングだったり、North Koreaのあなたのボスに機密情報を持ち出す時間だったりするんだ。何をするにしても、通常の営業時間内に終わらせなよ。それが無理なら、他の仕事を探せば?
テック系の場でこの見方を見るのは俺にはすごく奇妙に思えるんだ。俺のテックに近い学術的なR&Dのキャリアでは、定期的に徹夜したり、夜型からヴァンパイアみたいな変なシフトパターンで生活したがる人が本当にたくさんいたからね…
俺も夜遅くまで働くことで不快な質問されたり、「従業員の不正を見抜く方法」ガイドで定時外労働が危険信号って見たことあるよ。だから、君が奇妙って思っても現実で、会社にはそうする権利がある。覚えといて、USAではCivil Rights Actでspecifically挙げられた理由以外なら、どんな理由でも君を解雇する権利がある。ほとんどの「tech」の人はビジネス側の人間に対して責任がある。Academic R&Dは全く別だよ。
後になって初めてわかったこともあるだろうね。例えば、頑張って働いたのに、変な投資とかひどい離婚で貯金がなくなっちゃうとか。逆に、思ったより収入があったり株で儲かったりして、貯金が少なくても平気だったとか。あと、努力が全然実らなかったってこともあるかもね。当時の情報だけで見れば、その時の判断は正しかったのかもしれないよ。
死にかけの人が「あの時こうしてれば…」って考えるかどうかなんて、どうやってわかるの?
もし誰かにアドバイスもらうなら、将来の自分は絶対リストに入るね。
年取った自分が若い自分に「そんなに働きすぎんな」ってアドバイスするのは、人間関係を relentlessly 優先しろって意味じゃないよ。(人間関係は大事にしてるけど、 relentlesslyではないって訂正)
僕としては、これって別に普通のことだと思うんだ。このスレッドで「終末期のアドバイス」って考えにこんなにみんな動揺してるのが意外だよ。
有名な経済学者の後悔の話があるよ。父も経済学者で、亡くなる前にこう言ったんだ。
思い出の家族旅行で Maine のコテージに滞在中、 CAPM モデルのアイデアが浮かんだんだけど、休暇だったせいで他の人に先を越されたんだって。
「あの旅行に ever 行ったことを後悔してる。家にいたら Economica に論文を出せたのは僕だったかもしれない。」
そう言って、父は数時間後に亡くなったんだ。
記事は正確だけど、大きな間違いをした人の後悔から学ぶのはどうなの?って視点が抜けてると思うんだ。
死にかけでも人間は fallible だよ。
学ぶべきなのは「良い人生だった」って言える人たちからだね。
basically 記事の方向性と同じだけど、幸福研究に straight 行く方がもっと良いかも。
僕が見送った4人全員、この世を離れるのは sad だったけど、人生には satisfied してたよ(まあ、 regret もあったけど)。
誰にでも regret はあるものだよ。
まあ、そうだよね。 regret なんて安くていっぱいあるし、なんで死に際の regret が sudden に知恵の源になるの?
人生ずっと同じ間違いをしてきた人が、死ぬ直前になって suddenly わかるわけないじゃん。
記事の top 5 list は basic だけど、ほとんどの人が間違える。でもそれって簡単なことだよね?ずっと直さないってことは、多分彼らは本当に間違いを理解してないんだよ。
regret があるってことは、結果を伴う決断をちゃんと下して、その影響にも注意を払ったってことなんだよ。
目的意識と thoughtful に生きたいなら、 regret は避けられないんだ。
いや、それは違うんじゃないかな。
もしかしたら、何も自分で決めないで流れに身を任せて生きてきたのかもしれない。
それはそれで regret する可能性があるよね。
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major な間違いって、 randomly 分布してるはずじゃないの?
「キャリアに集中すべきだった」とか、
「社会にもっと fit して、車で近所の人をもっと impressed させるべきだった」とかさ。
今の問題は、 self-limiting な信念とか comfort zones で restricted されて、経験を diminish させるだけってこと。
だから、あの時彼女に話しかけなかったとか、片道切符を買わなかったとか、 safe で less fulfilling な道を選んだんだ。
後知恵だとこれが trivial に見えるから deathbed meme になるけど、 figure out するのを deathbed まで待たないといいけどね。
過去の自分にはめっちゃ感謝してるよ。色々乗り越えさせてくれたからね。でも、過去の経験で他人を全然信用できなくなっちゃったんだ。危険な世界で生き残るには役立った無意識のクセが、人との繋がりを邪魔してる。貧乏時代のケチケチ精神も、今はお金を使うと罪悪感感じて困る。セラピー受けてるけど、頭で分かってても無意識の行動を変えるのはホント難しいね。
この件、過去にもちょっと議論されてたんだ。
例えば、The Deathbed Fallacyとか、Regrets of the Dyingとか、The Top of My Todo Listとか、関連するいろんな記事でね。下にリスト貼っといたよ。他の関連議論見つけたら教えてね、追加するから!
理由4:あのリストは都合の良いものだけ選んでるんじゃない? 死ぬ直前の言葉全部記録して統計取ってるわけじゃないだろうし。誰かが面白いと思った項目を集めただけで、記憶は曖昧だから、実際どれくらいの頻度で言われてるかとか正確には覚えてないんじゃないかな。
著者は論点間違えてると思うな。死ぬ直前の他人の後悔がどうでもいいって言ってるけど、そうじゃなくて、今から自分の人生を未来を見て、これからやることが将来後悔になるか考えるべきなんだよ。それはFallacyじゃなく、未来への内省。考えが変わるかは関係ない。人生が終わった視点から今を見るのが大事なんだ。
これ、俺も毎日やろうとしてる。”未来の自分は今何を終わらせてて欲しい?”って。3時間 Minecraft やったかは気にしないだろうけど、棚が完成してたら喜ぶはず。
最近兄貴が死んで家が散らかってたんだけど、それを見て”死ぬ時の自分は、家族が大事なものを簡単に見つけられるようにしといて欲しいだろうな”って思うようになったよ。
> 持って帰って欲しいのはこれだ:”死の間際の誤謬”なんて気にするな。幸福度研究を見ろ…
そうだね、人が死ぬ時に言うことに過度に気を取られる間違いはやめよう、代わりに幸福度研究みたいな正確で信頼できて不変なものに人生の基盤を置こうぜ。ってか?
みんながみんな、死ぬ間際の考えに合わせて最適化してるわけじゃないと思うんだよね。そうじゃなくて、その枠組みを使って、この世で何を一番大事にするべきかを理解しようとしてるんじゃないかな。その枠組みが強調されるのは、今の状況に何か足りないものがあって、無意識がそれを伝えてる時なんだよ。
死ぬ間際にどう感じるか計画するのは、引退後にどう暮らすか計画するのと似てるね(お金の面じゃなくてさ)。そうなった時にちゃんと計画してて良かったって思えるのは素晴らしいし、確かにメリットはあるけど、そこにたどり着かないかもしれないってことも忘れちゃダメだよ。