セカンドブレイン、消しました!
引用元:https://news.ycombinator.com/item?id=44402470
著者が削除した理由や経緯は分かるよ。でも俺は自分のノートのアーカイブは絶対に消さないな。俺のはちょっと違う情報が入ってるんだ。例えば、たまにしかやらないことのハウツーとか、何年もかけて取り組んでるPJの今の状況、車のメンテナンス記録、大事なアカウント情報(口座番号とか保険の有効期限とか)なんかね。複雑なことをやってる時は、ノートに手順を細かく書き出すんだ。その記録はほとんど書きっぱなしだけど、書いてるうちに考えが整理されるラバーダックみたいな効果もある。それに、100回に1回くらいは、10年前にどうやったか思い出したい時に超役立つんだよ。同じアプリ(自分で設計したやつ)を仕事でも使ってるんだけど、そっちでは人事評価のために何をしたか記録してる。編集履歴は全部タイムスタンプ付きでログされてて、別のツールで時系列に並べられるようにしてるんだ。著者の場合、あのシステムは自己啓発への不安を解消するためのものだったみたいだね。でも、結局、手をつけてない野心の重さでそれ自体が不安になっちゃったと。俺的にはあれはセカンドブレインじゃなかったな。
君が作ったものは、セカンドブレインというよりは外部記憶補助装置に近い響きがあるね。地に足がついてて、実用的で、現実世界での役に立つように作られてる。大げさな洞察を集めるんじゃなくてね。システムが君の人生に役立ってる、逆じゃない、ってのが鍵となる違いだと思うよ。
最近、15年以上前の3TBのデータを復旧したんだ。友達のHDに入ってたんだけど、もう失くしたと思ってたんだよね。データ自体はそんなに惜しくないんだけど、昔の写真とかノートを見れたのはめちゃくちゃ良かったよ!だから、俺のおすすめは、HDに入れてどっかに隠しておくこと。そして15年後にチェックしに行ってみて!
ブログ記事が”セカンドブレイン”って大げさに言ってたのに、ノートの中身の説明はほとんどToDoリストみたいだったのがおかしいと思ったんだ。あれはセカンドブレインとは呼ばないな。セカンドブレインの定義ってのは、昔からあるエンジニアの日誌に近いものだよ。エンジニアがやったこと、測ったこと、観察したことを書き留めるんだ。一方、ToDoリストはただ自分で自分に課した仕事だよね。そりゃ、ああいうノートが不安の原因になるのも無理ないよ。7年分の遅れてる上に古くなった用事の記録を見せつけられたら、俺だって不安になるさ。ログはログ。重要だって感じたことを書き留めて、忘れとけばいいんだ。今日書いたことが、未来の自分への過去からのプレゼントじゃなくて、苦しみをもたらすなら、ノートから削除すればいいだけだ。人生の全てにおいてそうだけど、喜びをもたらすものを大事にして、悲しみをもたらすものは遠ざけるべきだ。君のセカンドブレインも同じだよ。
TIL(今日学んだこと)なんだけど、LTOテープってHD並みの密度があるんだね。でも、長期保存の信頼性がなぜそんなにあるのか、まだよく分からないな。 https://en.wikipedia.org/wiki/Linear_Tape-Open
20年後に自分の考えやアイデアを振り返って、その時の自分に出会える機会を失うのは嫌だな。10年以上書いてるPJ/アイデアジャーナルがあって、たまに見返すのがすごく楽しいんだ。HTML+CSSのコード生成ツールで、フリーランス始めた頃にサクッとPJを立ち上げられるようにしたやつ、あれについて書いたページを見ると、当時どれだけ誇らしかったか思い出して笑顔になるんだ。
世界中のToDoリストを全部削除できるかもしれないけど、新しい素晴らしいアイデアで登録したのにロゴデザイン終わってから一度も触ってない何百ものドメイン名は、まだあと2年半以上有効期限が残ってるぜ :)
何年もかけて個人PJをローテーションさせてるって言ってたけど、どうやったらまた取り組む気になるの?
その声、antithesisっていう言葉遣い、マジでChatGPTから直行してきたみたいだね。兄弟コメントも言ってたけどさ。
LTO-9ドライブは高いけど、メディアは18TBで90ドルくらいなんだって。仕事でいっぱいバックアップ取るなら結構いい値段だよね。それに追記専用モードもあるから、物理的にアクセスしないとバックアップが消せないのはアーカイブには最高だよ。
テープ自体も物理的にめちゃ強いって評判だし、HDDより壊れるとこも少ないしね。ドライブが壊れてもメディアはそのまま使えるのが良いね。ハードディスクのプラッターだけ交換できるみたいなもんかな。
テープメディアも永遠には持たないんだよね。アーカイブ用のはマシなのかもだけど、1970年代とか80年代の古いオーディオテープはボロボロになってきてるよ。
’20年後に自分の考えやアイデアを読み返して、その時の自分に会いたい’って言うけど、著者は6年間シラフらしいじゃん。過去の自分にはあんまり会いたくない可能性高いんじゃないの。
ChatGPTってMFAの1年生みたいな文章書くの面白いよね。内容の割に文体がエレガントすぎることよくあるんだよ。OpenAIは文章や声の形式と機能を合わせるのが得意じゃないみたい。
あの時代のMylarオーディオテープは寿命に問題があったんだよね。高音質なテープに保存したと思ってたアーカイブが崩壊しかけてるのを見つけたって読んだ記憶があるよ。運良く全部失う前に新しいメディアに移せたみたいだけど。
これは常にリスクだね。寿命テストは高温とか人工的な手段でやることが多いけど、30〜50年の保管を正確にシミュレートはできないんだよ。何か重要なら、二種類の異なるメディアを使って、何年かおきにチェックするのがベストだね。
’20年後に自分の考えやアイデアを読み返して、その時の自分に会いたい’って、そうだよね。俺の’セカンドブレイン’も日記も兼ねてるんだけど、文字通り何も持たずに’本当の故郷’に初めて着いた頃の手書きノートがあってさ、あれを読み返すたびに今の人生がいかに違うか再認識できていつも嬉しいんだ。
日々の自分の進歩ってすごく見失いやすいから、過去の視点や状況を分析できるのは、瞬間の幸せを感じるハックみたいなもんだね。
俺は1992年からの全メールのアーカイブを持ってるよ。(まあ、HTMLになる前の2000年くらいまでの方がアクセスしやすいけど。)これは素晴らしい資源なんだ。実用的な理由だけでなく、俺自身の個人的なPepys diaryみたいでさ、1992年以降のどの日でも自分が何してたか話せるんだよ。読むのが大好きで、たとえもう亡くなったメンターからの悲しいメッセージとか、何十年も前に別れた恋人からのメッセージに出会ってもね。
磁気テープがHDDよりアーカイブ保存に向いてるのは、I/O速度では劣るけど単位密度あたりのコストが良いからだと思うな。磁気テープストレージも大体RAIDみたいな構成で使うし、テープ自体は15〜30年しか持たないけど、データはメディアが劣化するずっと前に移行することで延命できるんだよね。
自分もこの考え方だよ。ただ、僕も不安症だから、散らかったノートやプロジェクトは日付ごとにzip化してアーカイブフォルダに入れてるんだ。
必要な時はいつでも参照できるし、ワークスペースもスッキリするよ。アーカイブには参照しやすいようにファイルツリーも入れてるんだ。cronジョブで簡単にスクリプト化できるよ。
いや、記事は主にTODOリストのことだけじゃなかったと思うよ。それは一例だっただけで、ルーマンのZettelkastenについても言及してたんだ。あれは組織的に相互接続された膨大なノートの集まりで、https://en.wikipedia.org/wiki/Niklas_Luhmann#Note-taking_sys… を見てみて。
著者はObsidianで似たようなアプローチをとってたみたいだね。彼はこう書いてるよ「Roam Researchは双方向リンクをカルトにした。Obsidianはそのカルトをオフグリッドにした。伝承は深まった。君はノートをとっているんじゃない。意味の格子を築いているんだ。…引用がひらめきを引き起こし、僕はそれをクリップし、タグ付けし、リンクして—次に進んだ。」
でも、うまくいかなかったんだ。「洞察は決して生きなかった。それは保管されただけだった。…全てを記憶しようとして、考察という行為を外部に委託したんだ。アイデアを見直さなかった。掘り下げなかった。ファイルにしまって、構造を信頼しただけだ。…システムが成長するほど、僕はソートし、タグ付けし、抽出してくれる未来の自分に思考の仕事を先延ばしにしたんだ。
その自分は決して現れなかった。」
だから、彼が主に書き留めたのは思考、アイデア、引用で、この膨大なコレクションから洞察や価値が生まれることを望んでたんだ。結局、彼にはそんなに簡単じゃなかったみたい。もっと集中して、もっと選りすぐって、もっと目的意識を持って、心から取り組む必要があると思うな。
まあ、ルーマンには当時うまくいったみたいだけどね。有名な著作は全部、彼の構造化されたノートテイキングアプローチなしには不可能だったって言ってたよ。彼の90,000枚のカードはデジタル化されてオンラインで公開されてるんだ。これだよ → https://niklas-luhmann-archiv.de/bestand/zettelkasten/zettel…
セカンドブレインって、自己改善の不安対策だったみたいだね。「響くものを捉えろ」って本からの学びらしいけど、何でもかんでも響くものを探そうとしたら、そりゃ不安にもなるわな。わかるわー。
これあんまり好きじゃないな。著者は個人的な問題で知識をぶっ壊したんだと思う。気持ちはわかるけど、やりすぎだよ。ライブラリを放置しとけばよかったのに、全部消すなんて。「自分をロボトミーして…」って、7年後には絶対後悔するって。やる必要なかったよ。考えてる人はzipしてUSBとかクラウドに置いとけって!それが一番後悔しない方法だよ。
溜め込み癖の人は、結局溜め込んだものがほとんど価値ないんだよね。ノイズが多すぎて、本当に大事なもの(シグナル)が少ない。宝物を見つけるのって大変な努力がいるけど、著者はそれがしんどかったんでしょ。溜め込み屋は普通、誰かの助けが必要で、それが無理なら全部捨てるのも仕方ないと思うな。
何が宝物かなんて誰にわかる?子供の学校関係とか、いっぱいスキャンしてるけど、私が死んだ後、子供がそれを見て宝物を見つけるか、全部ゴミと思うか、それは子供が決めること。私は今判断できないし、ただ管理してるだけだよ。
溜め込み屋の物を整理する時の問題、よくわかる。何が大事か分からないんだよね。うちの母も同じこと言ってたけど、私は古いものなんて絶対見ないよ。君の子供は見るかもだけど。偽陰性か偽陽性、どっちを取るかの問題だね。場所取らないならいいけど、溜め込みは違うよ。
俺は、子供が何年も経ってから小学校2年生の通知表のスキャンを見て「うわー、信じられない…」って言うかもしれない可能性に賭けてみるわ。
君、著者に共感できてないだけだって!知識の破壊じゃないよ。ストレスだったノートを片付けただけ。読まれない知識は無価値だし、ライブラリじゃなく溜め込み屋の家みたいだったんだってば。消してもすぐ忘れないし、必要なことは頭に入ってる。どうせ大したノートはなかったんだよ。7年後、後悔なんてしないね。削除して幸せになった俺が言うんだから間違いない!著者のメンタルに必要だったんだよ。手放すことに意味があるんだ。俺は著者を応援するぜ!勇気いっただろうし。これで自由になれたんだ。
もう返信しないけど言うね。
「知識の破壊」はあった。7年分に価値ゼロなんてあり得ない。ノート取らない人ダメ。
著者はネガティブ感情で、他人にとって価値あるものを壊したんだ。
君の主張はブレブレだ。結局、俺の意見(感情で価値を壊した)を支持してるじゃないか。
削除して後悔しない?無知は幸福か。思い出捨てて後悔しない人なんていない。君は将来後悔するよ。
アーカイブとか他の方法もあったはず。人類の文化はこういう人がいないからあるんだ。
本燃やして自由か。君はいいけど、他の人のためなんて言うな。
うちの母もああいうの全部取っといてたな。ベビーブックとか写真アルバムみたいに整理されてるのは良かったけど、7歳の時の通知表とかは、ちょっと笑った後で捨てただけ。学校のプリントとかは、片付けるのがマジで面倒だったよ。
もう返信しないけど、言うね。
それなら何で返信したの?議論する気ないならするなよ。言葉投げつけて耳塞ぐなんて、議論にマイナスだよ。
正直、そのせいで君の投稿、ちゃんと読まずにざっと見ただけになった。でも、著者に共感できず、違う意見を持つ人を理解できないのがバレバレだったね。
いいかい、著者は自分の個人的な経験を話してるだけなんだ。彼らに何が一番良いか、あんたが知ってるフリするのは傲慢だよ。他の人が違う考え方なのを理解できないのは、あんた自身の問題だろ。
子供に’これ何?’って聞いてみたら?うちの父さんも昔俺に聞いてきたんだ。子供の頃父さんのオフィスにあった小物をいくつか出したよ。もし父さんがまだ持ってて、その’溜め込み品’を整理するなら、捨てるより俺に送ってくれるかな。
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もし母さんがそんなセンチメンタルなものを見せてくれたら、超嬉しかったと思うよ(父さんは俺の物を取っておいてくれて、それがすごく良かった)。でも、みんな感じ方は違うんだよね。あなたのことや人生を全然知らないから、あなたの反応が全然おかしくないのかもね。
34998への返信だよ。
’あれ何?’って聞けるのは、子供の好みが固まってるから。数年前なら躊躇なく捨てたものが’貴重な思い出’になることもあるんだ。物の価値は不安定で論理的じゃない。でも、デジタルデータは違う。SSDはファイルが増えても’膨らまない’からね。
反論させて。デジタルデータは物理的な貯め込みとは違うよ(少なくとも今はね)。だってストレージ容量はどんどん増えてきたから。大学のノートとか古いフォルダも持ってるけど、全部合わせても最新のLinux ISOイメージより全然小さい。保存費用なんてほぼゼロだよ。
なのに、最近のアプリがデカいのが気になるのは、昔の習慣が抜けきらないのかな。
うちの父さんも物持ちだよ。整理して子供に聞くのは、子供が大人になってからの方が意味あるね。親の死後、大量の物を片付けるのって本当に大変なんだ。デジタルデータも同じ。父さんは写真何十万枚も持ってて、古いフロッピーも。古い形式で開けないファイルも多いし、それを整理・移行するのはヤバいプロジェクトになりそう。物理的な物は売れるけど、デジタルは自分で何とかするしかないしね。
もちろん君は興奮するだろうさ、だってホーカーは’ホード’を楽しむんだから。これはトートロジーだよ。君が分かってないのは、大多数の人はホーカーじゃないし、’ホード’を楽しんだりしないってこと。
君の言うことにはほぼ同意だよ。この問題の解決策は、昔から変わらない’アーカイビング’さ。アーカイブは邪魔にならないし、特にデジタルなら全然手間かからない。時間があれば、誰かがチェックして’宝石’を見つけられるかもしれないしね。
長い議論の一部みたいだね。
議論する気がないなら返信するなって批判はわかるけど、僕は君に敬意を示したかったんだ。でも、不毛な言い争いは避けたいって気持ちだったんだよ、ごめんね。
記事の著者の話は個人的な経験って言うけど、僕は’人類の知識にとって何がベストか’って視点で話してるんだ。本を燃やすのが悪いなら、セカンドブレインを消すのも悪いと思うね。
LLMが筆者の宝(大事な情報)を掘り起こせる時代になったって言ってるね。
AIを使えば、数年後にはアシスタントにその情報を食わせて、自分で煩わされることなく、かつて関連性のあったことについて詳しく話したり質問したりできたはずだ。
AIはデータ構造をどうしたいか十分理解して、筆者の代わりにずっとやってくれただろうに。
そもそも、なんで全部に目を通す「必要」があるの?
何か特別に重要なもの、例えばどこかに遺言書があるはずだけど場所が分からない、とかでもない限り、全部まとめて捨てちゃえば?
俺は、もし俺が死んだら誰かが俺の電子ファイルから必要になると思う情報を1枚の紙にまとめて、耐火金庫に入れてる。
一番近親の家族が鍵のコピーを持ってるよ。
正直、彼らが俺のデジタルファイルで何かするとは思ってないし、気にもしないだろうね。
>子供の学校や活動に関するものを大量にスキャンしてるんだ。
いつか私が死んだとき、多分彼らはそれを見返して、宝と呼ぶものやたくさんのガラクタを見つけて楽しんでくれるだろう。
姉と俺は、母さんが捨てたがらない俺たちの学校の大量の荷物を捨てる約束をしてるよ。
見るだけでストレスなんだ。
もし物理的な作品、例えば窯で作った粘土細工とかなら、子供がいらなくても自分で持ってたらいいけど、スキャンできるものなんて残す価値ないと思うし、スキャンしすぎるとノイズの中に信号を見つけるのがずっと難しくなるだけだよ。
メモを消すことと精神疾患を結びつけるのはかなり飛躍しすぎだろ。
>何が宝で何がそうじゃないか、誰にわかる?
この場合、著者がメモを書いたんだから、価値がないって言ってるなら多分その通りだよ。
俺だったら、「うわ、信じられない」って思って、すぐに「なんで親はこんな価値のないゴミを残したんだ?興味ないのに。
まだどんだけゴミがあるんだよ?何百もの取るに足らないものの中から重要な2つを探すなんて絶対しないし、自分で捨てる手間までかけなきゃいけないのか。
他のことしてた方がマシだ」ってなるね。
まあ、君の子供たちは楽しんでくれるかもしれないけど、この感情は決して普遍的じゃないよ。
LLMが自分で書いた人より、データを掘り起こして宝を見つけるのが得意だって言うのはありえないと思う。
LLMは大量のデータを処理するのは得意だけど、何がそこに価値があるかなんて全く分からないんだから。
>それにしても、現代のアプリケーションのサイズは相変わらず気になる。
どうも失礼に当たる気がするんだ。
古い習慣はなかなか消えないね。
データサイズ≠メモリサイズだし、メモリサイズ≠バイナリサイズだよ。
Slackでメッセージを送るみたいな簡単なことのために、マシンにロードしなきゃいけないプログラムのテキストや関連データに対して文句を言うのは全く正しい。
RAMはコールドストレージみたいにそこまで指数関数的に増えてないから、そのスペースを無駄にするのはコストがかかるんだ。
それに、バイナリが大きいほどプログラムは遅くなるし、システム上の他のプログラムとの連携も悪くなるよ。
母親が亡くなって実家を片付けた時、同じようなものがいっぱい出てきたよ。40年以上前の古い成績表とか絵とか学校の課題とかね。母親が大事に取っておいてくれたのは嬉しかったけど、それ以上の興味はなかったな。てか、母親自身も絶対見てなかっただろうね。箱は押し入れにしまわれたままで、どう見ても置いたっきりだったし。物ってストレスになるの、まじで本当だよ。たとえ邪魔になってなくても、見るたびに「どうしようかな?」「整理しなきゃかな?」「捨てるべきかな?」ってストレスになる。俺が育った家もいつも散らかってたし、俺自身も片付け苦手なんだよね。たまに家まで運んでもらう大型ゴミ箱を頼んで、ここ10年くらいで溜まったものを一気に捨てるんだけど、スッキリするけどまたすぐ溜まり始めるんだ。もし一つだけ身につけたい習慣があるとしたら、使わないものを定期的に、しかも容赦なく捨てることだな。
ZettelkastenとかSecond Brain、PKMとか呼ばれてるノート整理術の問題点の一つは、そこから何かユニークで素晴らしい、世界を変えるようなものが出てくるんじゃないかって期待だと思うんだ。特にZettelkastenコミュニティでは、システム作った昔の社会学者の話を持ち出してきて、そいつが山ほど論文出した!とか言うけど、その論文、今フィールドで全然影響力ないじゃん。それに、特定の難解な方法、特定の種類のノートを決められたやり方で進化させなきゃいけない、みたいな変な期待もある。俺、結構頭いい方だと思うんだけど、ZKの概念図が永遠に理解できんわ。もしかしたら、無駄に還元主義的すぎるのかもな。まあ、Luhmannはそれでたくさん論文書いたのかもしれないけど、俺の知ってる研究者でこんなシステム使ってる奴、誰もいないよ。妻は何百本も論文出してるけど、やり方は全然違う。
とにかく、自分のノートを破壊する意味が分からんね。パフォーマンスみたいで象徴的な感じ? ブロックを乗り越える助けになるなら、まあ、いいんじゃね。俺自身のノートは、半分整理されてて半分カオス。色んなシステムの痕跡がごちゃ混ぜになってる。これは俺がコレクターの誤謬に苦しんでる証拠だけど、気にしない。
>パフォーマンスみたいで象徴的
パフォーマンスとか象徴って意味あるんだぜ。行動は思考に影響するからね。人生で変化を起こす効果的な方法として、目標がもう達成されたかのように振る舞うことで、マインドセットが変わって本当にそうなるって、結構知られてることだよ。小さい例だけど、無理に(つまりパフォーマンスとして)笑顔を作ると気分が良くなる、とかね。
>自分のノートを破壊する意味が分からん(中略)ブロックを乗り越える助けになるなら、まあ、いいんじゃね。
君、ちゃんと意味分かってるじゃん。多分、君には個人的に必要ないことかもしれないけど、人それぞれ違うからね。
>昔の社会学者
>その論文、今フィールドで全然影響力ないじゃん
君、超クールでエッジーだね。
Luhmannは今でも様々な分野で最も引用され、議論され、考えられている社会学者の一人だよ。
>Luhmannは今でも様々な分野で最も引用され、議論され、考えられている社会学者の一人だよ。
残念ながら(まあ、これは地域的なものもあると思うけど。ヨーロッパ、特にドイツではLuhmannはまだ強いけど、USAではそこまでじゃないかも)、Luhmannの問題点の一つは彼のZettelkastenから来てるんだ。引用を元の文脈から引き裂いたり、元のテキストが彼の見解を全く支持していないのに、自分の視点を裏付ける証人として名前を挙げたりする傾向がある。
システムが実際に機能してるのが分かるね。彼は元の著者が全く意図しない方法でたくさんのものを自分のものにした。これは長所でもあり短所でもある。
Zettelkastenが好きじゃないかもしれないし(俺もそうだけど)、Luhmannが好きじゃないかもしれないけど、「彼の著作は今フィールドで全然影響力ないじゃん」って言うのは単に知らなすぎるだけだよ。彼は前世紀で最も影響力のある大陸ヨーロッパの社会学者の一人だった。まあ、Durkheimほどじゃないけど、人類の99.9%が決して到達しないレベルの国際的な関連性を達成したのは確かだよ。
Jürgen HabermasはLuhmannの理論について、こう言ったらしいよ:”全部間違ってる。でも質は高いね。”
俺が知ってる、マジで意味のある仕事をしてる人達のほとんどは、理想的なプロセスじゃなくて、自分が実際にどう考えてるかを反映した、あり合わせのシステムを使ってるよ。
> I still love Obsidian. And I’m planning on using it again. From scratch. And with a deeper level of curation and care - not as a second brain, but as a workspace for the one I already have.
これとは違うけど、職場で何度か見た残念な状況を思い出すね:「うちの知識ベース、グチャグチャだ。整理されてないし、情報古いし、必要なものが見つからない。捨てて新しいの作ろうぜ!」ってやつ。で、新しいのもすぐに同じようにグチャグチャになるんだよ。今や二つの整理されてない、部分的に古い知識ベースを探さなきゃならない羽目に。
なんでみんな、今あるものを整理することにそんなに抵抗があるんだろうね。俺は自分の個人知識ベースだけは絶対消さない。将来、一部手直しするかもしれないけど…。
物を整理するって、今日から大変なタスクを始めるってことだよね。新しい知識ベースを始めるのは今日楽しめて、将来の自分がちゃんと真面目にメンテナンスしてくれるか、指をクロスして願う感じ。
先週の半分は、社内製品の古いガイドとドキュメント更新に費やしたよ。20人がこのガイドを使って間違いに気づいてたのに、誰も編集したがらなかったんだ。
>「捨てて、もっと良いのを作ろう!」
って言っても、結局新しいのもすぐ散らかっちゃうんだよね。そして、二つの整理されてない、古くなった知識ベースを探す羽目になる。
新しい知識ベースに移行したのが悪いとか、時間の無駄だったとか言いたくなるけど、そうじゃなくて、簡単な仕事のスケジュールを立ててそれを実行しなかった、頑なな拒否のせいだと思うよ。「捨てる」ってすごく分かりやすい。数週間経っても二つ残ってるなら、それは根本的な失敗。問題はアイデアじゃなかったんだ。
>問題はアイデアじゃなかった。
いや、最初のアイデアこそ問題だよ。大規模組織では、古い知識ベースを完全に捨てるなんて絶対に無理。十分に理解してないから。誰もが。古い知識ベースのどの部分が誰に役立つか、誰も知らないんだ。だから、いつまでも残る。
個人としてできる最善は、知識ベースの自分の担当範囲を少しずつ改善することだけ。「新しいの作って永遠に最新にするぞ!」なんて非現実的で、単なる願望だよ。古いのでできなかったのに、新しいのでできると思う?
>最初のアイデアこそ問題だ…古い知識ベースは捨てられない
分からない項目があっても、いつでもコピーできるじゃん。新しいシステムを古い情報と同じ情報で始めるのはそんなに難しいタスクじゃないよ。
>「新しいの作って永遠に最新にするぞ!」なんて非現実的、単なる願望
これは確かにアイデアの欠陥だし、かなり大きいけど、古い知識ベースを削除できなかったのとは全く別の欠陥だよ。
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人生で心底後悔してる数少ない決断の一つが、80年代にプログラミング学んでた頃の古いノートを捨てたこと。筆者とほぼ同じ考えだったんだ。ノスタルジーが足を引っ張る、頭を clutter するから前に進まなきゃってね。
でも、あのノートは、もう存在しない僕の一部、時代を浮き彫りにしてたんだ。僕は自分の一部を壊しちゃった。写真とか他の「かつての自分」に関わる思い出の品を壊すみたいに。
そういう思い出の品って、愛おしいだけじゃなく、ある意味アンカー(錨)にもなる。過去の自分全部に途切れない線を引いて、全体像を見せてくれる。思いもよらない形で心 triggered されたり、やる気が出たりする potential もある。
だから、筆者が捨てた物は、道具としては useless かもしれないけど、内省的な考古学という意味では絶対 useful だと思うよ。似たような infocide をする前に、よく考えてって強く urging する。
少なくとも、完全に destroy するんじゃなくて、手の届きにくい所に archive するのを提案する。後で regret するかもしれないから。
紙とペンって、非効率だからこそ、記録を取捨選択したり、思考を言い換えたり condensed させたりして、より深い思考を促すんだと思う。これって、まさに筆者が complain してた PKM システムの問題点(思考の処理を後回しにする)と同じだよね。筆者のアーカイブは、完全に automated で簡単だった分、 signal より noise が多かったんじゃないかな。
つまり、あなたのノートは、 curated された真の original thought がもっと詰まってるから、あなたが言ってた「内省的な考古学」的な目的には、筆者のアーカイブより valuable/useful だったんだと思うよ。決断を後悔してるって Sorry ね :/
確かにデジタルだと noise も溜まりやすいけど、全てのデジタル clutter に当てはまるわけじゃないよ。一部のデジタルノートは一部の紙のノートより valuable になり得るから、僕の recommendation は stands だね :)
何事もやりすぎはダメってのが、僕の simple philosophy。
Obsidianでノートを取り始めた時、何でもかんでもノートに入れよう、フォルダ分けしよう、って考えすぎて、その mental burden がすぐ分かるようになったんだ。
最近は、ほとんどのノートを一つのフォルダに入れてる。ノートを取るのは、読む時、ごく稀に書き留めたい考えがある時、それとIPアドレスみたいな重要な情報を保存する時だけ。こんな風にノートについて obsessive に考えない方が、僕には合ってるね。ほとんどの考えは useless で fleeting だから、頭の中に置いておくのがベストだと思う。
このおかげで、 vault は1年経っても simple で small なままだし、何か情報を探す時も、書いたって分かってる重要な詳細のためで、 junk で overloaded されることもないんだ。
ノートスペースを clean に保つために、定期的に archive にも移してるけど、滅多に見ることはないね。
私も整理に悩んでたんだ。PARA法 [1] でObsidianのvaultをやり直して、LLM(CursorとかClaude Code)に整理手伝ってもらってる。結構助かってるよ。
[1] https://fortelabs.com/blog/para/
Claude Codeを文書整理とかに使う人が増えてるんだね。面白い傾向。試しに非技術者の彼女に使わせたら、議事録分析にすごく役立ったって。コーディング以外でもエージェント的な使い方が効果的みたい。非技術者にもバージョン管理が必要かな?それか、もっと簡単な代替手段はないかな?
> LLM(CursorとかClaude Code)に整理手伝ってもらってる
これ、もっと詳しく教えてくれない?
私のノートも同じようにシンプルになったよ。今はだいたい「Work」っていう大きなノート1つと、たまに旅行計画とか買い物リストとか一時的な小さいノートだけ。PKMって整理ばっかして仕事が進まない、先延ばしになることあるよね。だから最低限だけにしたんだ。
> 何事もやりすぎは良くない
これだね!何事もほどほどに、ほどほどもほどほどに、ってことだよね。
> ほとんどの思考は無駄で一過的
自分の思考をそう言うのはいいけど、それを他の人に一般化するのはどうかな。自分の思考には固有の価値があるし、それを大事にするのが私の喜びなんだ。考える存在として自分の思考を「無駄」なんて言えないよ。全部書き留めはしないけど、面白くて価値ある思考は持ち続けたいな。
やっほ、ちょっと書き方が悪かったかな。僕が言いたかったのは、ほとんどの思考は書き留めるほど重要じゃないってことだよ。「重要じゃない」と「無駄」は違うんだ。書き留めない思考は、だいたいは消えちゃうか、無意識に洗練されて「これは書きたい!」って思うまで待つんだ。全ての思考を書いてるわけじゃないってこと。
母が30年前の手紙の山を見つけたんだ。今ならメッセージアプリで終わるような普通の会話だったけど、母はすごく感動して、書いた時よりずっと貴重だって言ってたよ。
30年後にメッセージのデータベースを見つけたら、同じノスタルジーを感じるのかなって考えるの面白いね。手触りがある方が、もっと心に響きそうだけど。
手紙の形式って、読み返すのに向いてる気がするね。「この少しの間」について語る1通は、断片的なメッセージより、その時の生活の文脈がたくさん詰まってるから。誰かと共有された日記の1ページみたいだ。