集中すれば何でも勝手に続いていく!脳の驚くべき仕組み
引用元:https://news.ycombinator.com/item?id=45126503
記事は予想外だったけど良かったよ。精神医学はよく知らないけど、脳の化学反応の話は自分の経験と合う感じ。「とりあえず5分だけやってみよう、ダメならやめていいよ」って自分に言い聞かせるトリックを思い出したな。そしたら大体、そのまま続けたくなるんだよね。
「5分だけ集中して、嫌ならやめる」っていうトリックは、ADHDの管理に役立ってるよ。もちろん、その5分を始めるのがそもそも大変なんだけど、薬を飲んでる時はできる。簡単にやめられるって思うとすごい効果があって、5分過ぎると大抵そのまま続けちゃうんだ。
それでうまくいけばいいけど、「5分できたら、やりたいから続けてる」って基準だと、俺は文字通り何もやりたくないってことになっちゃうな。正直、最近(この1ヶ月)医者と話してちゃんと治療を始めたばかりで、まだ薬の量を調整してる段階だよ。
もう一つ考えるべきなのは、薬を飲み始めたら、新しいスキルをたくさん身につける必要があるってことだよ。ADHDの薬を飲み始めた時、「うわー、集中できる!」って思ったのに、全力で間違ったことに集中しちゃったのを覚えてるな。
どうやったらADHDって診断されるの?姉が最近40代で診断されたんだけど(別の国だけどね)、もしかして俺もADHDなのかなって。誰に聞いたらいいか分からないし、オンラインのクイズって全部何かを売りつけようとしてるみたいでさ。
それは面白いね。俺は薬なしでもハイパーフォーカスは全然できるんだ。集中する対象を選ぶのが難しくて、それを解決するために薬を飲んでるよ。
オンラインのクイズを受けて、医者に話したら、医者もオンラインのクイズをしてくれて、Adderallを処方されたよ。Adderallが自分にとってどういう意味を持つのか理解するのに1年半かかったけど、すごく役立ってる。俺は40歳で、あんな刺激剤は初めてだった!高揚感には気を付けて。しばらく量が多すぎて最初は良かったんだけど、週末はダウンしちゃった。今は量を減らして、効きすぎないようにしてるよ。マインドフルネスとセルフコントロールが大事だね。
「全然できる」って言うのは、いつでも好きな時にハイパーフォーカスを引き起こせるってことだと思うよ。俺の経験では、一番やりたくない時に、一番やりたくないことでそれが起きるんだ。
ありがとう!俺はマインドフルネスとセルフコントロールができてるって思いたいけど、もしかしたら自分を過大評価してるかもしれないな。
アデロールは正直、結構トリッキーだったな。何が起きてるのか気づくのに時間がかかったよ。スタートアップで新しい仕事に就いてから、約一年経ってやっと使用パターンが問題になったんだ。今は毎日同じ時間に同じ量を飲むってのが俺の黄金ルールだよ。前は忙しい日に増やしてて、寝不足になったり、週末が最悪になるくらい気分が落ち込んだりしてたんだ。でもここ数か月、毎日量を守ってるから、すごく調子がいいんだ。このシンプルな指針と君の意識があれば、きっとうまくいくさ。
「行動がモチベーションの前に来る。」この言葉、俺の家ではもうミームになってるんだ。モチベーションがないときに「よし、それやっちゃえば、モチベーションも湧いてくるぞ!」って言えるから、すごく良いショートカットになるんだよね。
ビデオゲームは集中して楽しむのが好きなんだ。Clair Obscur Expedition 33みたいな客観的に面白いゲームもあるけど、ロード中にスマホでニュースとかHN見ちゃうんだよね。ゲーム自体は楽しんでるんだけど、集中してないから体験を損ねてる気がする。映画やTVではセカンドスクリーニングしないようにしてるし、結構できてるんだけどな。みんなやってるけど、俺はソロゲーだとやっちゃうから、なんだかモヤモヤするんだ。このコメント書いてたら、ADHDだって自己診断しちゃった気分だよ。
何年も前の話なんだけど、教授の友人がいてね。ある日、「段落を20回読んでも全然覚えられない。苦痛で戦いみたいだ」って相談したんだ。そしたら彼が「著者がなぜその内容を学ぶのに人生を費やしたのか、何に魅了されたのか、って視点で読んでみろ」って言ってくれたんだ。この視点の転換で、俺の世界はガラッと変わったよ。
それは俺の三番目の文と矛盾してる気がするな。ハイパーフォーカスって、何を集中するか選ぶことじゃないだろ。俺が言いたかったのは、ADHDは集中力の問題じゃなくて、何に集中するかを選ぶのが問題なんだ、ってことさ。
ドーパミンが快楽じゃなくて「未来の快楽を予測する」っていう現代の理解を、誰かがやっと正しく説明してくれて超嬉しいよ!快楽の化学物質は、側坐核の殻にあるグルタミン酸なんだからね。
俺の経験則はこれだよ。「薬が効き始めたときに何をしてるか、それがその日ずっとやることになる」ってね。
このコメント、俺をハッとさせたよ…だって、俺の今の考え方にすごく近くて、重要なピースが欠けてたのかもしれないって思わせるんだもん。ちょっとドキドキするけど、ワクワクもしてる。もっと深く考えてみる必要があるね。シェアしてくれてありがとう!
集中を邪魔してるのは、能力じゃなくて失敗への恐れとかじゃない?もうすでにやり遂げたって仮定して、そこから逆算して考えてみるのはどうかな。達成感と満足感から始めればいいんだ。もう終わったんだから。あとはやるだけってね。まあ、合う方法は人それぞれだけどさ。
ハイパーフォーカスって面白いよね。一つのことに深く集中しすぎて、飯も寝るのも忘れちゃうんだ。でも、何に集中するかは自分じゃ選べないのが難点だよな。
いい提案だね。「とにかくやる」ってのはだいたい上手くいくもんだよな。
自分の本当の能力がわかると、問題解決の戦略ってマジで変わるよな。タスクを始める時の嫌な気持ちは前と同じだけど、一度始めると最後までやり遂げられる自分に気づくと、「もう諦めるしかない」なんて思わなくなるんだ。
集中を妨げるのは能力だけじゃない、失敗への恐れとかもあるよね。大人になっても、7歳の頃の自分に根差した信念に縛られてるってことに気づかない人が多いんだ。俺の父親はね、いつも俺に勝とうとしてたから、俺は「もうすぐ勝てる」って時に自滅しちゃう「カサンドラの呪い」を抱えちゃったんだよ。
薬で治療を始めたら、新しいスキルを身につけなきゃいけないんだよね。俺の場合、SSRIを急にやめたら症状がぶり返しちゃってさ。結局、また薬を飲みながら、どう習慣を変えるかとか、色々学び直すことになったよ。
薬の飲みすぎによる陶酔感には気をつけろよ。プライマリケアの医者がいきなり高用量のAdderallを出すことが多いけど、最初だけ世界を征服した気分になるんだ。でも、その多幸感は続かない。だから良い医者は、少量から始めて徐々に増やしていくべきなんだよ。
俺も同じだよ。初めて薬を飲み始めた時、これは痛い教訓だったね。やったー、やっとタスクに集中できる!ってなるんだけど、それがたまたま薬が効き始めた時にやってたタスクになっちゃうんだよな。
俺もわかるよ。時々、自分が集中したいことにハイパーフォーカスを発動できることすらあるんだ。でもね、必要な時にそれを止められないんだよな。
それは本当だね。もし今ハマってることなら、いつでも集中力を発揮できるんだ。仕事中だろうが、シャワー中だろうが、誕生日パーティーだろうが関係なくね。でも、そういう場所で本来達成したい目標には全然役に立たないんだよな。
手助けできて嬉しいよ。頑張ってね。
分かった、説明ありがとう。僕の場合、ハイパーフォーカスするセッション(時には役に立つこと、時には無駄なことだけど)が、途方もないレベルの集中力散漫の間に挟まるから、記事には全然共感できないんだよね。
僕が役立ったと思うおすすめの本だよ。オーディオブックもあるかもしれない、それが君の好みならね。
https://bookshop.org/p/books/learned-optimism-how-to-change-…
https://bookshop.org/p/books/the-now-habit-a-strategic-progr…
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Byung-Chul Hanの『The Disappearance of Rituals』を思い出すね。本の前提を簡潔に言うのは難しいんだけど、ある意味で、時間と注意を瞬間や主題にわたって水平にではなく、垂直に積み重ねて構造化することについてだと思うんだ。
なんて偶然!「Philosophize This!」の最新エピソードが「The Philosophy of Zen Buddhism - Byung Chul Han」というタイトルなんだって![0]彼のことは今まで聞いたことなかったよ。どうやら彼の本『The Burnout Society』がおすすめらしいね。[0]https://open.spotify.com/episode/3jdvGsEdrpEEjMBJG5oRaH?si=g…
「Philosophize this」は西洋の規範から離れて、もっと神秘的で非二元的なものへ進むクールな流れに乗ってて、どんどん面白くなってるね。数年前に Deleuze にハマって、最近その全体の進展を聞くのが楽しいんだ。1、2年くらいやった Alan Watts マラソンとも面白い重なりがあるんだよね。
昔 Deleuze を読むのに苦労したんだ。おすすめある?要約は面白いけど、文章自体は難解に感じるんだよね。
要するに、友達と読むか、ドラッグとして読むか、ドラッグみたいに読むかだね。ぶっ飛んでるよ。僕は『A Thousand Plateaus』が大好きな数人の友達とグループで読んでたんだけど、一緒に声に出して笑ったり、本について話したりするのが最高だった。多分それが一番良いアプローチ方法だね。あと、そのうちの一人のアドバイスで、ATPの導入部分だけ読んで、スマホとか何も持たずに外を散歩して、その概念の塊が頭の中でぐるぐるするのを眺めてたんだ。それから一晩寝て、グループ読書を始めたんだ。特に Guattari と一緒だと、本というより幻覚剤みたいなもので、軽い気持ちであらゆる角度からアプローチするのがなぜか役立つんだ。Deleuze は ATP で異論にはあまり興味がないみたいで、ただ新しい概念を投げかけて、それが刺さるか見てる感じだね。
そのエピソード、すごくいいね!おすすめしてくれてありがとう。
話はそれるけど、『The Disappearance of Rituals』は楽しかった?去年、Byung-Chul Han の本を読み漁ったんだ。『The Crisis of Narration』『In The Swarm』『Psychopolitics』『The Burnout Society』を読んで、どれもすごく楽しめたよ。内容が濃いから、最低2回読むことに決めて、ちょうど今それが終わるところなんだ。彼から次に何を読むか探してて、『The Disappearance of Rituals』を考えてたんだ。
Byung-Chul Han に興味があるなら、Marc Augé の『Non-places: An Anthropology of Supermodernity』も楽しめるかもね。Byung-Chul Han は『Psychopolitics』で Augé のこの本のアイデアをたくさん参考にしているんだ。難解だし、翻訳が下手か書き方が悪いかのどちらかだけど、アイデアは素晴らしいよ。
映画「素晴らしき哉、人生!」の異例の成功は、著作権切れでTVで繰り返し放送されたためかも。当初は興行的に失敗したけど、繰り返しの露出とクリスマスの良い思い出と結びついて、今では名作扱いされてるんだって。これって記事のテーマに関係あるかもね。https://en.wikipedia.org/wiki/It%27s_a_Wonderful_Life#Recept…
うーん、それとは違う仕組みだと思うな。ホリデー中にTVで流れる映画って、みんなあんまり集中して見てない気がするし。
「素晴らしき哉、人生!」が20年間も24時間放送されたのは、著作権がめちゃくちゃになってTV局がただの穴埋めに使ってたからだよ。昔は「34丁目の奇跡」と競ってただけなのに、そのうちどこもかしこもでやってて、放送されすぎてもう嫌いになったくらいだね。
「ショーシャンクの空に」も似たような話だよ。公開当初はダメだったけど、TVで何度も放送されて今じゃ名作扱い。それと「恋はデジャ・ブ」もそう。エバートも後から評価を上げたんだよね。何度も「恋はデジャ・ブ」を見るともっと好きになるって、なんか作品の内容と合ってて面白いね。https://en.wikipedia.org/wiki/The_Shawshank_Redemption#Criti…
https://en.wikipedia.org/wiki/Groundhog_Day_(film)#Post-rele…
成功をただTVでの繰り返し放送のせいにするのは違うと思うな。映画館向きじゃないアート性の高い作品が、時間をかけてファンを増やし、古典として定着するんだよ。どれも公開前に批評家からある程度の評価はあったけど、興行は失敗して、その後ゆっくりと評判を築いていったんだ。
>成功をただTVでの繰り返し放送のせいにするのは違うと思うな
僕が言いたいのは、繰り返しのTV放送があったからこそ、観客や批評家がこれらの映画を深く考察し、その芸術的な価値を再評価できたってことなんだよ。時間をかけた持続的な注意が、評価を変えたんだ。
車でカセットテープのアルバムを何度も聴いて、深い曲(deep tracks)が好きになった経験があるよ。あと、Sony Indiaが古い映画をYouTubeに上げてるけど、あんまり見られてないみたいだね。https://youtube.com/@sonypicturesindia-english?si=G20TZ6NnVk…
この理論、賛成だね!メディアがヒットするには2つのパターンがあるんだよ。1つ目は、最初から強烈に心を掴まれて夢中になるパターン。2つ目は、何度か見たり聞いたりして、じっくり考えて、時間をかけてどっぷりハマっていくパターン。これ以外は、ただ通り過ぎて印象に残らないだけだね。
私には別の経験があるんだ。「赤ちゃん泥棒」を彼女と別れた直後に見たら、出てくる問題を全部悲劇に感じて映画が嫌いだった。でも、少し時間が経ってまた見たら、それから何年も私のお気に入りの映画になったよ。
「ショーシャンクの空に」を数年前に初めて見たけど、いまいちで期待外れだったんだ。「恋はデジャ・ブ」も一度見たけど、古すぎて最後まで見れなかったし。でも、このコメントを読んで考え直したよ。これらの映画の魅力って、単なるノスタルジアじゃなくて、繰り返し見ることや展開が予測できることが「コンフォートフード」みたいに感じさせるのかもね。
『ショーシャンクの空に』がIMDB1位だけど、俺的には「史上最高」とは思わないんだよね。7-8/10って感じ。でも、『アラビアのロレンス』や『2001年宇宙の旅』は「史上最高」って感じたな。だって、すごい映像だし、テーマも壮大で、音楽もド迫力だったからね。ショーシャンクは色んな人に評価されやすい、一番論争がない映画なのかもね。
「何度も見たり、予測できるから心地良いんだ」って意見もあるけど、もっと簡単な話だよ。結局、人それぞれ好みが違うだけだろ。
人って人生の段階で変わるんだよな。俺は20代で『カサブランカ』を見た時、全然感動しなかったんだ。でも、50代でまた見たら、震えるくらい泣いちゃったよ。20代の頃は主人公たちが何を諦めたのか分かんなかったけど、50代になって、選択や状況で失われた愛を経験したら、すごく共感できたんだ。
記事の『ショーシャンクの空に』の評価まとめ、Wikipediaと合ってなくないか? Wikipediaには「試写会は最高だった」って書いてあるし、オスカー候補にもなったって。それに、その年のレンタル映画で1位だったんだぜ。
“最高の映画”リストには批評家の評価と観客の支持がある映画が多いんだね。『ショーシャンクの空に』は批評家にはウケたけど、映画館ではダメだった。でも、ホームビデオ市場で巻き返して、その年のレンタル映画で1位になったんだ。記事にもあるけど、良い評判、何度も見られること、男女両方からの支持が成功の鍵だったらしいよ。『素晴らしき哉、人生!』、『恋はデジャ・ブ』、そして『ショーシャンク』の3作は、最初は評価されたけど、まさかこんな伝説になるとは誰も思わなかっただろうね。
“思考に気をつけなさい、
それは言葉になる;
言葉に気をつけなさい、
それは行動になる;
行動に気をつけなさい、
それは習慣になる;
習慣に気をつけなさい、
それは性格になる;
性格に気をつけなさい、
それは運命になる。”
って格言があるよね。でもこれ、よく老子の言葉だって言われるけど、違うらしいよ。
ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッドっていう紀元前7世紀頃の書物にも似たような考えがあるんだ。
“そして、人は欲望で成り立っていると言う。そして、彼の欲望がそうであるように、彼の意志もそうである;そして彼の意志がそうであるように、彼の行動もそうである;そして彼がどんな行動をしても、彼はそれを刈り取るだろう。”
ってね。
その言葉、老子は言ってないよ。どうやら1970年代のあるスーパーマーケットチェーンのオーナーが言ったのが始まりみたいだね。
しまった!ちゃんと調べとくべきだったなー。すごく本当っぽい話だったからさ。訂正してくれてありがとうね。
どういたしまして!そうだよね、信じちゃうよね。
そう、すごく古い考え方なんだ。「考えたように、私たちはなる」ってブッダも言ってるもんね。
ありがとう!ダンマパダ(ブッダの言葉、たぶんね)の最初の対の詩を共有しようと思ってたんだ。最初のコメントで誤って引用しちゃったけど、こっちの方が良かったかもね。
心はすべての精神状態に先行し、それらの主であり、心によって作られる。不純な心で話したり行動したりすれば、苦しみが牛の足跡を追う車輪のように続く。純粋な心で話したり行動したりすれば、幸福は決して離れない影のように続く。
Source: https://www.buddhanet.net/e-learning/buddhism/dp01/
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もちろん。集中するものが心を消費し、その中で育っていく。悪い種類はしばしば「反芻」と呼ばれるよね。砂漠の父 John Cassian[0]がこの点で面白いかもしれない。彼は心を水車の比喩で表現しているんだ。水車は止めることができないから(水が流れ続けて石臼を回し続ける)、石臼に何を注ぐかを選ぶしかないんだ。高品質の小麦を入れれば、高品質の小麦粉ができる。毒麦を入れたり加えたりすれば、有毒なものができるんだ。蒔いたものは刈り取るし、心や注意を汚れたもので蒔けば、汚れたものが芽生え、広がり、転移するだろう。心の庭を賢く耕そう。心がさまよったら、引き戻すんだ。良い作物が心の中の雑草を窒息させればいい。だから思考や想像力には倫理があるんだ。特定のことを意図的に考えるのは間違ってる。愚かな考えや醜い考えは意図せず頭に入ってくるかもしれないけど、心を良い考えに引き戻すことはできる。悪い考えにふけったり追求したりすると、内側から腐敗し、その結果として悪い行動の土台を作ってしまうんだ。
(備考: 数年前、Cassianの「Conferences」[1]からの抜粋本に関するリンクがHNで話題になったけど、今は見つけられないんだ。)
[0] https://www.newadvent.org/fathers/3508.htm
[1] https://a.co/d/cbxYLo7
Dhammapada(約2500年前のブッダの言葉、たぶんね)の最初の対の詩を思い出したよ。
心はすべての精神状態に先行し、それらの主であり、心によって作られる。不純な心で話したり行動したりすれば、苦しみが牛の足跡を追う車輪のように続く。純粋な心で話したり行動したりすれば、幸福は決して離れない影のように続く。
Source: https://www.buddhanet.net/e-learning/buddhism/dp01/
「意図せずに愚かだったり醜い思考が頭に入ってくるかもしれないけど、良い思考に引き戻せる」って言うけど、俺の経験だと、一番良い方法は中立的な姿勢を保って、そういうネガティブで役に立たない思考はただ手放すことだよ。バイバイって手を振って、心に自然と他のことに移らせてあげるんだ。
うん、まさにそう!俺はアート制作を使って、同じように集中力を向けてるんだ。
公園で叫んでる子供は、乾燥した土地よりも古い不死の超生物の最新の結実体だ。一方で、ベタベタしててちょっとおしっこみたいな匂いがする。
俺の作品は、こんな風に注意深く観察するのに役立つんだ。どうすれば、良い俳句を作るような直接的で新鮮な意識で瞬間を体験できるだろう?
[1]: https://lucaaurelia.com/about
君の言葉とピクセル、楽しませてもらったよ!
それはDefault Mode Networkのことだね。著者も言ってたけど、不安や反芻に苦しむ人たちは、Default Mode Networkを中断する内在的なメカニズムが不足しているんだ。
メカニズムの不足じゃないよ。脳のバグった配線で、ある時点である物質が不足したりすることで、脳がバグの影響が少ない「経路」に血液を再ルーティングさせられたんだ。元々機能する経路の血流を増やせば、埋もれたメカニズムも回復できるよ。ADHDの人とかも、PFC(前頭前皮質)の血流や酸素供給がわずかに低下してたけど、正常レベルに戻るとADHDのネガティブな症状が改善する。脳のどの領域でもそうだね*。
虚血後回復の研究で確認されてるはずだよ。脳領域全体の経路を特定するのは簡単じゃないけどね。*血流や酸素供給が良くなれば、大抵の生物(やその一部)のパフォーマンスは上がるんだ。
そういう確固たる根拠はないと思うな。右と左の前頭前皮質の血流に大きな差があり、右が優位なことがADHDの症状の重さと関連するっていう研究は少なくとも一つあったけどね。
「右のrCBFが高く、左のrCBFが低いほど、臨床症状の重症度が高いことの予測因子だった」 [0]
でも、発達上の違いってのは、一般的な現象に貢献していなくても、広範囲にわたって相関してるんだ。特に近接する現象ではね。発達シグナルは体全体に広範囲な影響を及ぼすからね。だから、因果関係を主張するハードルはすごく高いよ。機能的な相関がなくても、発達上の相関だけかもしれないし、因果関係が逆の場合もある。つまり、横方向のPFCの発達の違いが循環系の動員の違いを生んだのであって、逆じゃないかもしれない。あるいは機能的・物理的な因果関係があったとしても、ADHDは他の多くの脳の違いとも相関している。じゃあそれは重要なのか?
それに、たとえ重要だとしても、発達後の血流を減らしたり増やしたりして、本当に全体的にメリットがあるのか?どこかを減らしてどこかを増やしたとしても、発達後では一様に役立つとは思えないな。最後に、血流を増やすことと再バランスは全く別物だ。血流を増やす、あるいは利用可能な空気中の酸素を増やすことは、体のほとんどすべての機能を改善する。誰もが前頭前皮質への酸素が増えれば、ある程度までは恩恵を受けるだろうね。[0] https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11725823/
脳や体は遺伝的な状態に近づいて回復できるし、発達信号は体に広く影響するって。ADHDは遺伝だけじゃなく、生活習慣や環境も関係するんだ。脳の血流が減った状態から回復すれば、機能も回復するって考えてる。俺の意見だけど、ちゃんと研究で確認する必要があるね。
「特定の原因から特定の効果が生じる」って言っても、それがいつもそうだとは限らないよ。君は「どこかで読んだ」ってだけで断定しすぎだよ。生物学は複雑で、断片的な証拠を並べても真実じゃない。
精神問題の原因を断定するんじゃなくて、調べる価値がある分野だって知ることが大事だよ。科学哲学だって最初は誰かのガレージから始まったんじゃない?
異常な生理機能の話で「基準へのあらゆる増加が有益」なんて仮定できないでしょ。ある場所の血流を減らして別の場所で増やすって仮定は…もう言葉も出ないよ。君のコメントは弱い論理でいっぱいだね。
血流を減らして増やすって意味じゃなくて、全ての周辺領域で増やすってことだよ。論理が弱いってのは認めるけど、メリットはあるはず。もし血流減少が異常な生理の原因なら、その逆も真でしょ?俺の足の例みたいにね。
血流減少が原因とは限らないよ、相関は因果じゃないからね。血流の違いは「必要性の低下」かもしれないし、君の主張は想像の飛躍だよ。科学的思考は重要だけど、「もっともらしい推論(bullshit)」は危険だね。
もしそれが原因なら相関じゃないよ。血流と酸素供給の改善も、全体と特定部位では効果が違う。左利きの子の脳のリルーティングみたいにね。Dr. Houseみたいに仮説を検証するのが大事だよ。Fmri研究も必要だね。俺も勉強し直して大学に戻りたいな。
「もしそれが原因なら」っていうのは循環論法だよ。テストできないアイデアは一旦置いて、もっと多くの可能性を探ろう。俺はADHDだけど、自分を「直す」んじゃなくて、他者のために生産的なことをすれば、自然と自分も成長するって気づいたんだ。君の好奇心を活かして、もっと大きな目標を目指そうよ。
Addams、落ち着けよ。現実からフィードバックを得るって言うけど、俺の家族は複雑でさ、目覚めるのが遅すぎたんだよ。ADHDは修正できないって言うけど、サッカー選手が苦手な足で練習してトップになったみたいに、君も遺伝的なADHDのベースラインを超えられるはずだよ。
それってすごい主張だね。聞いたことないんだけど、情報源を教えてくれる?
あのコメントの主張はどうかと思うけど、俺のリサーチだとADHD脳はアミノ酸やミネラルが不足してるっぽい。栄養不足を脳が補うために再配線されるっていう話を信じてるよ。スピルリナを飲んだら不安や反芻思考が減って調子が良いんだ。Richard Feynmanも、やりたいことがあってもできないって言ってたよね。この記事は最高。最近はArts and Craftsを再開して、AIや家族も巻き込んで色々試してる。みんながボイスメモで記録したり会話が増えたりしてるよ。
俺の”研究”を裏付けるために読んだ論文をいくつか挙げるね、書き忘れちゃったから、君の指摘は正しいよ!
Study - https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7995246/
Study - https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6309508/
他にも読んでるのがあるから、興味あったら教えるよ。これが飲んでるスピルリナね: https://www.amazon.com/Premium-Chlorella-Spirulina-250-Table...8年以上前から飲んでて、1年休憩してから再開したんだ。汗かきだからアミノ酸も流れ出るんだよね。
この中で俺が知ってるのは、瞑想してる人のPFCが成長してADHDの症状が改善するっていう話だけだな。それが信頼できる研究だったかは覚えてないけど、10年以上前に読んだ気がするよ。
それはライフスタイルの変化で脳の化学構造が変わるってこと。瞑想は、ちゃんと集中してやればADHDの脳が慣れてるのとは全然違う時間感覚を作り出すんだ。瞑想は夢じゃないし、Default Mode Networkが制御されてるわけでもない。君は目覚めてて”明晰”で、想像力とか”hyperlight association”みたいなものからくる認知スタイルに囚われてないんだよ。
ごめん、これ以上詳しく調べる時間がないんだ。でも、関連ソースとしては、fMRI研究全般、特に虚血からの回復時や回復後の認知機能に関する研究は間違いないよ。あと、性発達の研究とか性ホルモン代謝の阻害に関する研究も。Michael Levinの研究も何かヒントになるかもだけど、どのキーワードで探せばいいか自信がないな。
俺がエンデュランスアスリートだった時も、症状はそんなに改善しなかったよ。改善したのはほとんどhedonic treadmillで説明できると思う。ただ苦しみに耐える時間が長くなっただけ、って感じかな。